ささぶねに乗って

小さな旅の記録と、アディクションを通しての出会いや別れや、猫たちとの日々。

来年はケアマネジャー受験をしたいな

すばやく起きて、コーヒー飲みながらおから入りカップケーキ作り中。
今日は二カ所のグループホームで調理に回らなければならないが、もう一ヶ月先には全く違う仕事をしているのだからなんとかがんばろう。
転職は非正規だし不安定だが、かえって「なんとしてもメシ喰わねば!」という感じになり、来年はもう取らなくていいかなと思っていた介護福祉士とケアマネジャーの受験をしようという気になってきた。

今の職場の仕事が単に家事手伝いでほんとうにやりがいがなかったため、社会福祉士会もやめ、依存症関連の学会も入るのを辞めてしまったが、かえって非常勤に舞い戻ることにしてやる気が出て来た。本も買って勉強しよう。

介護関連資格にしても、精神保健福祉士の仕事をやっていくにせよ、介護や認知症については理解とサポートが出来る力をつけたほうがいいのだ。資格試験は必ずしも現場での支援力とは直結していないが、知識を学機会としては最適だと思う。

自分の親も自分自身も年を取って行くのだから加齢にともなう生きづらさについてももっと考えて行きたい。
そういえば、来月は大叔母様の生誕100年アニバーサリーが催されるから是非参加しろということだ。はっきりって大叔母様はひいばあちゃんほど知らないのだが、私がにぎやかしに座っていても存在価値があるらしいから行こうかな。
ばあちゃんは最後の3年は造血機能がなくなって入退院の繰り返しだったが大叔母様は元気だ。
医学が発達したと言って、あまり無理矢理に延命するのはいかがかと思うが、それは私が今元気だから言えることかも知れない。生き死にに対して自分なりに腑に落ちなければずるずる生きたくなくても死にたくないかもしれない。

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テオヤンセン展

昨日は三重県立美術館のテオヤンセン展に車いすを押したり伴走しながら行って来た。車が美術館街で道路にずらずら並んでおり、混んでる場所が嫌いな私は「も〜かえろうかな」という気持ちになったが、実際の美術館は大阪や神戸にくらべりゃマシだ!という感じで割とゆっくり観られた。
美術館で車いすの横にしゃがんで変に自撮りを試みていると、若い女性が「撮りましょうか」と撮ってくれた。そういうコミュニケーション、いいな。
その後は、駅ビルのダイソーに行ったが、直であがれるエレベーターがなく、荷物・職員用の裏エレベーターを借りた。私が大昔に東京で障害者介助をやっていた頃は、なんと新宿駅なのにエレベーターがないといったことがざらだったが、バリアフリーの今の時代でも、やっぱりバリアはたくさんある。
買い物のあとは、堤防で猫に会いに行きたいとのことでタクシーで行った。
彼の猫仲間が3人来てくれ、猫も機嫌よく穏やかな時間を過ごした。
その後も、市民運動をしている方に会いたいとのことで立寄った。
今日も半日外にいて、ばたばただった。
足浴をしてあげ、背中を拭いているともう帰りの時間が近づいていた。
10月からバイトも探さないといけないが、なんとなくガイドヘルパーに復帰しても勤まる感じ。
彼にはまた10日後に来ると伝えて近鉄とJRとバスを乗り継いで帰宅。帰りは10時半になったが、まだたくさんの人がバスに乗っていた。
楽しい一日だったな〜。あと半日くらいゆっくりしたいなー。

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今にいることについての料理の効果

 

f:id:suginami74:20170907085215p:plain今朝は5時半に起きて、さっそくバナナパンを作りました。私はよくパンやらスコーンを作っていますが、それは第一に弁当用という経済的理由に寄ります。今日はバナナがもうタイムリミットに熟していたので使わねばならないという使命も負っていました。

 

ところで、今年のやらないことリストには「料理をしすぎること」も記入しました。特に夜、だるくて何も出来ないときはパンやらスコーンやらプリン作りで時間を使ってしまいます。もちろん弁当用という名目はありますが、時間との関係を考えると他のことを犠牲にしすぎるね、とは思っていました。

 

しかし、料理のよいところは「今に集中できる」ということです。手や目を使い、場合によっては味覚も使い、材料の具合を観ることに集中するので私の場合は雑念があまり入らないように思います。しかもたいてい自分のために作っているので、他者への期待がありません。

 

これはある意味、マインドフルネスでよくやるレーズンを使った「五感を駆使しながら今ここにとどまる」というワークに通じるところがあると思います。

とはいえ、過度に料理に無自覚に時間を使うことはたんなるアディクションの一形態や、逃避に似ていることも事実です。

 

できるだけ今にいることや五感を使うことを客観的に眺めながら料理をしようかな。そんなことをしていたら楽しくないだろうか?でも現実逃避で時間を費やす感覚の料理も楽しくない上に「今日も勉強もやらないといけない連絡もせずにパンで終わった…」と感じることが多かったからこそ、今年のやらないことリストに料理のしすぎがあがってきていたので、要はいい感じで折り合いをつけることかなー。

バナナパン(チーズ入り)はおいしくできました!

バナナパンと摂食障害集まりの会のお知らせ

おはようございます!
起きたら即、バナナパンを仕込んだ。熟し過ぎバナナは今日が限界だ。今、発酵待ち。
昨日は面接に行った。採用されたらいいな。なんにせよ、新しい仕事をするのは楽しみだ。昨日のところに縁がなくても、違う仕事を探して新しいことをするのは確かなので楽しみだ。また、昨日の仕事は5時間労働なので、いずれにせよ他のバイトも探さねばならない。多分、効率から考えて訪問介護となるのだろうが、それも数年ぶりなので刺激的である。
今日は昼の遅い時間から仕事に行き、そのあとで女性の自助グループを開く。こちらも私の仕事の変更で今後はどうなるかわからないので相談しなければ。でもいろんなものがその時に合わせて変化して行くのはいいこと。
みんなの成長にあわせて場所も距離もかわっていけばよい。

 

10月7日の摂食障害集まりの会には、私が主催している『名前のない花たちへ」も参加する。今後、この会の開催日時を変更するかもしれないが、そうするとまた新しい人が参加するだろう。

まだ一人で苦しんでいる人が、一人でも仲間とつながり、自分のいきたい方向を模索出来る手助けとなりたい。

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言い訳めいた仕事へのいらだちをぐだぐだと

昨日は二つのグループホームで食事作りをしたが、ふたつめでキレそうにいらいらしてしまった。

食材を抱えてキッチンに入ると、利用者2人がたばこの煙をもうもうとさせて座っていた。それだけでもむっとするが、そこは「タバコ吸うときは換気扇つけてもらえますか」ときっぱり言って、自ら換気扇をつけたし、2人とも「あ〜、そうやな〜」みたいな感じで換気扇を気にしていたので、まあ気づかない人たちなだけなのだ。
しかし、彼らは言えば調理は出来るのだが、声かけしないとまったく動かず、邪魔な位置に座ったままだ。ここでちゃんと「一緒に調理しましょう」という感じにはならず、またしても(くそう、家事手伝いで生活するはめになるとは!)という気分になってしまう。全く楽な仕事なのに、感謝よりも主婦みたいな仕事に対して自尊心がひどく傷つく。これはどう考えても私の心の持ちようがよくない。でも変えられなかった。


家事援助が大嫌いかというと、以前に重度の身体障碍や重複障がいを持っている人の家事援助をやってきたときはそうでもなかった。それなりに役に立っている感じはあったし、可能な人にはできるだけ参加してもらうために食材の切り方を聞いたり、味付けは一緒にしたりと試行錯誤していたのだ。


今の仕事は、職員が一方的に食事提供をする形になってしまっていたのと、私もそれを変えようと言う情熱がなかった。変えようと思えば変えられたのだが。みんなそれで文句も言わなかったと思う。


ある程度いろいろなことが出来る精神障害者への家事援助は、実際は見極めも細やかにする必要がある。彼らは病気の症状自体は服薬があえば押さえられていて、ごく普通の気の優しい人だったりするのだが、薬の副作用はやはり大きく、そのための生活障害に配慮が必要だ。疲れやすかったり、軽い作業は毎日できるがどのあたりから小さな無理が重なっていくのかも本人が気をつかう人だと見極めにくい。
とはいえ、私の大学時代からの友達は今でも聴声があるが毎日朝夕新聞配達し、集金もやって、趣味の短歌で歌集も出している。彼を「精神障害者」扱いして自分よりことさら弱者にしようとは思わない。私の方が肉体的に強靭なのは事実だが、私も依存症のキャリアで今も自助会通いだし、双極性Ⅱ型では四苦八苦だ。仕事に穴開けるほどじゃないけど。

いずれにせよ、仕事をもう辞めることにしたのはよかったと思う。

 

今日のいらいらには、偏頭痛と首・肩の痛みも多いに関係している。人間は体が不調だと、その不愉快の原因をどこか他のことに求めてしまう。把握出来ないいらだちを、目に見えるものや、身近な人の行動が原因であるとすり替えがちだ.ちゃんと体のメンテナンスはやらないとね。

 

今日は、整形外科に行ったあと韓国語で、それから髪を切ってもらい、その後、講演会にいく。全部自由な予定なのでどれかをさぼっても可。でもさぼらない。

朝のマインドフルネスをやろう。そして一週間全然やらなかった韓国語をとにかくちょっとでも予習しよう。

もう今日から九月

今朝は涼しくて、夜明け前に一度目が覚めた。春にいなくなったはろうが外から還って来て、毛がごさごさなのでブラシでゴミを取ってやっている夢を見た。それからでびが2階から落ちた夢も。

今日から九月だ。ここ数日、光は夏のようにまばゆいのに空気が乾燥して風景のりんかくがくっきりしていた。秋の向こうに冬のけはいが隠れていると思う。正直、冬は苦手だし、11月から1月下旬にはいつもウツ傾向なのだが、それでも四季があるのは美しい。フィリピンは夏と冬しかないらしいしなあ。といってもあたたかい冬なんだろうけど。

いよいよ今月で仕事もやめることができる。やれやれだ。本格的に仕事探しをしなければ。でもどんな仕事でも今のグループホームの家事手伝いよりは仕事らしいだろう。ほんとにハラスメントに近いヒマ具合だった。しかし別に何をやってもよかったのだから、ヒマが好きな同僚なんかにとっては楽でよいのだろう。彼には私が新ホームを作ったせいで仕事を増やして申し訳なかったかもな。でも、それでも私にとっては相変わらずヒマは改善されなかった。

あの仕事での経験としてはグループホーム一軒を開設したことだけだろうか。市や消防に足を運んだり、その前に不動産屋をいくつも回ったり、はじめてのことばかりで楽しかった。それから、自分では食べない肉料理をほぼ毎日するようになったこと。牛肉豚肉なんて私生活では5年くらい買ってないよ。あ、この前、入院中の義理のいとこにコラーゲンを摂取させるためにすじ肉の煮物を作ったから買ったことは買ったか。でも普段自分では、せいぜい数ヶ月に一度鶏肉を買うくらいだ。それもはろうがいなくなってからは、鶏肉を調理するたびににおいでわかるのか、足元まできてかわいい声で私にかけらをくれと言っていたはろうの姿を思い出すから買えなかった。

ホームの仕事で得たことといったら、肉料理がなんとなくわかったこと。わかってるかな?それからホーム開設の段取り。しかしまた新しく開設してしまったら、そのごは家事手伝いの仕事がもう一軒増えただけだったなー。

もうすぐそんな仕事からも足を洗える。職員も利用者もいい人ばっかりだったが、その長所をうわまわる苦行のヒマだった。ありがとうありがとう!

もうすぐ仕事も辞めるし

私が仕事を辞めると宣言し、退職届も出し、気分はもう過去の人になっていると、常勤になることを打診された同僚が困っていた。彼も介護の必要な兄弟やガンが転移した兄弟を遠くに持ち、時間を作って帰ろうと思っていたらしい。しかし、常勤が一人しかいない仕事に、常勤として雇われると休みもままらならない。そうだ、そこなのだよ、私があの仕事にうんざり来ていたところは。

法定の有給を取ることもままならんし、そのくせ障がい者グループホームの仕事内容は簡単な調理と掃除だけのお手伝いさんだ。

まあ、ここで感じる不満は承認欲求が満たされないという点が多いにあるし、承認欲求というものは人に寄って違う。仕事にそれを求めない人も多いが、ブラック企業蔓延や過労死の遠因でもある。しかし私は適度な承認欲求の充足と、ちゃんと休みが取れることの両方を求めるので家事のために土日も祝日も大晦日も元旦も職場に行くのはうんざりだ。

別に休日に働きたくないのではない。重度の障がいや認知症で独居の人のところに夜間や大晦日、元旦などに訪問するのはむしろやりがいがあった。地域包括でも祝日に休みたいなどとは思わなかった。単純だけど、その程度の非日常を楽しむことはできる。

そもそも家事を仕事にするのがイヤなんだな。家事はイヤではない。パンを粉から作るのも、毎日弁当(といってもそのパン)を持って職場に行くのも、部屋を片付けてすっきりするのも苦痛じゃないし、むしろ気分転換になる。

だけどそれが仕事になるかというとちょっと違うねー。家事なんか仕事にしてると、そこで給料が発生していても社会復帰できない気分になっちまうよ。 今回は自分には家事専業は無理だというのがわかっただけでも収穫では?自分を知ることは大事なことだから。