ささぶねに乗って

小さな旅の記録と、アディクションを通しての出会いや別れや、猫たちとの日々。

言い訳めいた仕事へのいらだちをぐだぐだと

昨日は二つのグループホームで食事作りをしたが、ふたつめでキレそうにいらいらしてしまった。

食材を抱えてキッチンに入ると、利用者2人がたばこの煙をもうもうとさせて座っていた。それだけでもむっとするが、そこは「タバコ吸うときは換気扇つけてもらえますか」ときっぱり言って、自ら換気扇をつけたし、2人とも「あ〜、そうやな〜」みたいな感じで換気扇を気にしていたので、まあ気づかない人たちなだけなのだ。
しかし、彼らは言えば調理は出来るのだが、声かけしないとまったく動かず、邪魔な位置に座ったままだ。ここでちゃんと「一緒に調理しましょう」という感じにはならず、またしても(くそう、家事手伝いで生活するはめになるとは!)という気分になってしまう。全く楽な仕事なのに、感謝よりも主婦みたいな仕事に対して自尊心がひどく傷つく。これはどう考えても私の心の持ちようがよくない。でも変えられなかった。


家事援助が大嫌いかというと、以前に重度の身体障碍や重複障がいを持っている人の家事援助をやってきたときはそうでもなかった。それなりに役に立っている感じはあったし、可能な人にはできるだけ参加してもらうために食材の切り方を聞いたり、味付けは一緒にしたりと試行錯誤していたのだ。


今の仕事は、職員が一方的に食事提供をする形になってしまっていたのと、私もそれを変えようと言う情熱がなかった。変えようと思えば変えられたのだが。みんなそれで文句も言わなかったと思う。


ある程度いろいろなことが出来る精神障害者への家事援助は、実際は見極めも細やかにする必要がある。彼らは病気の症状自体は服薬があえば押さえられていて、ごく普通の気の優しい人だったりするのだが、薬の副作用はやはり大きく、そのための生活障害に配慮が必要だ。疲れやすかったり、軽い作業は毎日できるがどのあたりから小さな無理が重なっていくのかも本人が気をつかう人だと見極めにくい。
とはいえ、私の大学時代からの友達は今でも聴声があるが毎日朝夕新聞配達し、集金もやって、趣味の短歌で歌集も出している。彼を「精神障害者」扱いして自分よりことさら弱者にしようとは思わない。私の方が肉体的に強靭なのは事実だが、私も依存症のキャリアで今も自助会通いだし、双極性Ⅱ型では四苦八苦だ。仕事に穴開けるほどじゃないけど。

いずれにせよ、仕事をもう辞めることにしたのはよかったと思う。

 

今日のいらいらには、偏頭痛と首・肩の痛みも多いに関係している。人間は体が不調だと、その不愉快の原因をどこか他のことに求めてしまう。把握出来ないいらだちを、目に見えるものや、身近な人の行動が原因であるとすり替えがちだ.ちゃんと体のメンテナンスはやらないとね。

 

今日は、整形外科に行ったあと韓国語で、それから髪を切ってもらい、その後、講演会にいく。全部自由な予定なのでどれかをさぼっても可。でもさぼらない。

朝のマインドフルネスをやろう。そして一週間全然やらなかった韓国語をとにかくちょっとでも予習しよう。