ささぶねに乗って

小さな旅の記録と、アディクションを通しての出会いや別れや、猫たちとの日々。

早朝の鳴き声

うーん、寝たのが遅かったため、5時半に起きようと思ってたのに、そとから猫の声(うちの猫)がするので5時前に目が覚めた。
 猫のでびが寝ている間に窓を勝手に開けて2階からでてしまっていた。うちはクーラーがないので窓を閉めて寝るわけにもいかない。猫は窓から出て、玄関に降りてそれで満足なのは知っているけど、今どき外に猫を出すのは猫の安全上でも、糞尿による住民への迷惑という点でもしたくないので出て行かないで欲しい。でも出たい気持ちもわかるし、私が対策をしなかったせいで猫が悪いわけでもないけど。

 3月の下旬に同居のはろうがいなくなってから、でびは一人で退屈なのもあるだろう。隣の人は自室でも猫を数匹飼っているが、庭で外の猫にもエサをやっているし、この辺りの人たちは地域猫にも優しいからたくさん外猫がいる。でびはちょっとだけ外に出て外猫と会ったり、隣のおばさんちをのぞいて、中にいる猫と会話したいだけなのだろう。
 はろうが帰ってこないなら、子猫を飼ってやった方がでびにはいいのかもしれないとも考える。
はろうがもういないなら、生まれ変わってまた玄関にいないか考える。はろうは最初、実家の生け垣のところにいた。そんなに小さくはなく、多分、生後半年くらいだったのではないか。でもはろうは成長すると誰が見ても「大きいなあ!」というくらいになったので、3〜4ヶ月だったのかもしれない。誰かが捨てたか、迷ってきた様子で、実家の人にも近所の会社の人にもフレンドリーな猫だった。実家で飼ってやろうとしたが、もともといた猫にいじめられて飼えなかったので私が連れて帰った。野良だったのか、捨てられたのかははっきりしないが、とてもフレンドリーな猫なのにずっと抱っこは嫌いだったから野良だったのかも知れない。

今年の3月28日に、病院に連れて行く途中でカゴが開いて逃がしてしまってから、もう4ヶ月が過ぎた。あれから私はろくに文章がまとまらないのだ。文学学校は休学し、フランス語も行かなくなった。6月までははろうを探すのにいろいろとやっていた。最初の一ヶ月は新聞に広告を入れたり、動物病院にビラを貼ってもらったり、自分でビラまきをし、5月にはタウン誌に掲載してもらった。地域猫にエサをやっている人にも会いにいった。そういう人たちの現れる時間帯が夜明けだったり夜だったりするので一苦労だった。保護猫譲渡活動をしている人にも会いに行った。6月は自分でビラをまいた。この地域の人たちは優しい人が多く、エサやりをしている人のところにわざわざ案内してくれたり、猫を見かけたからといって電話をくれてその場に連れて行ってくれたり、はげましの電話をくれたりと支えられる気持ちになった。

 ここの地域の人は迷い猫を虐待したりはしない。見かけたら保護してくれるかエサをやってくれるだろう。はろうは人懐っこいから慣れたら家にいれてくれるかもしれない。

 はろうはもう13〜14歳だったしあのときは調子が悪くて病院に行く途中だったのだ。食事もささみをフードプロセッサーでペースト状にしてやっていた。ドライフードは食べにくくなっていた。見つからないということは死んだのかも知れない。でもあんな大きな猫が都会で死んでいたとしたらにおいなどで誰かが気づくのではないか。清掃局にも電話をしたが、わからないとのことだった。ひとめにつかない溝の奥なんかで死んでいたとしたら、もうはろうの体は分解して流れてしまったろう。

薬はあったのに病院に連れて行こうとしなくてもよかったのだとか、カゴに入れていくとき、カゴの横は念のためにひもでしばったのに入り口もしばっておくべきだったとか、家の前にタクシーを呼ぶんだったとか、逃げた場所ですぐペット探偵を頼むとか捕獲器を借りて設置すべきだったとか、今となってはいろいろ思うが、そのときは思いつかなかっただから仕方ない。起った出来事は必然だったのだ。

とはいえ、この四ヶ月、ふぬけてしまい、何もかけないし、ろくに勉強もしてこなかった。

 来年はフランスのルピュイの道からスペイン・サンチアゴまで歩こうと思っているのでその準備に生活を建て直したい。

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