ささぶねに乗って

小さな旅の記録と、アディクションを通しての出会いや別れや、猫たちとの日々。

摂食障害のワークショップ

連勤6日目。明日は休み。今日もゆるい予定。
昨日の夕方電話があり、10月28日に摂食障害のイベントのゲストスピーカーで参加することになった。大好きな仲間たちだ。
東京のあのグループにつながったのは25歳の頃だった。上北沢の住宅街を歩いていた感覚を呼びおこすと、どちらに進んでいいのか全くわからない不安となにも生きる手がかりを感じられず、たぶん唯一はっきりくっきりしたリアリティが過食嘔吐だったのだろうと思う。

症状は治まらないままに参加したワークショップは、たしかグループにつながって1年少々たってからだった。そこで私は一人の仲間がいないことに気づき、なんだか予感がして彼女の家に電話をかけた。今のようにみんなが個人携帯を持っていない時代で、電話に出たお母さんが冬の日に彼女が自死したことを教えてくれた。

とにかく、私の周りの誰にとっても厳しい季節だったのだ。

あのあと、私は鬱病と処方薬乱用をこじらせて、関東から関西に転地療養したが、それ自体はいろいろと開けて行くきっかけになったと思う。ただしとても回り道だったけど。

摂食の仲間は私の自助グループ生活の原点だし、正直な話ができる。アルコールの仲間であるオッサンよりもいろんな話ができるし批判や冗談や無理解で返されることもない。もしかするとそこで対話するべきなのかもしれないが、私はそこまで相手に期待していない。

アルコール依存症業界では、今、なかなかアルコールが辞められない女性を見かける。周囲の支援者は手を焼いているし心配もしているが、いちどほんとうにやりたいように、生きたいようにさせてみたらどうなんだろう。みんな真綿のように優しく、そしてその優しさがなければ彼女は生きられないのだろうが、自分がほんとうに自分で歩いてみないと歩けないかどうかさえわからないのだ。そうなってやっと支えてくれた人のありがたさがわかるし、いい意味での依存ができるとおもう。それまでは依存症の症状というややこしい自己主張をし、自由にさせてくれない優しさに対して嫌みをするが、大人としてわかりやすい形での自己主張はできない。守られた中での逸脱をし、守ってくれていることを恨み、でも一人では歩けない。
そういうのって若いうちならいいんだけど、だいぶ大人になってから見せつけられると醜悪で思わず怒ってしまう。怒っていて気づいた。それは自分自身がやっていたみっともなさを思い出したからだ。

 

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